まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

テレパシー?

2週間に一度、義父に差し入れを持って行く。

この前水ようかんを持って行ったら、
ケアマネのMさんが面白いことをおっしゃった。
わたしが行く数日前に義母が新しい外履きを届けに行ったそうなんだけど、
その数日前から義父が急に「家に帰りたい」と言い出すようになった、
このところずーっと落ち着いていて家のことも全く言わなくなっていたのに、
まるで自分の奥さんが来るのを察知したかのようだった、と。
「50年も連れ添っていらしたんですから、
『テレパシー』みたいなものでつながっているのかもしれませんね」
Mさんはそう言って可笑しそうに大笑いなさった。

聞けば、今までもそうだったんだって。
義母は「面会はしばらく遠慮してください」と言われているのに、
「妻なんだから会わせろ」と施設に押しかけちゃうことがあったんだけど、
実際には全く会ってないにも関わらず、その前後数日間、義父の不穏がひどくなってたんだって。
「『うちのかあちゃんが近くに来てるな』って、何かピピっと感じるんでしょうね。
やっぱり何だか超能力みたいですね。
コウセイさんだけじゃなく、認知症の方に割りと見られることなんですよ」
Mさんはそうもおっしゃっていた。

認知症の人って記憶力とか理解力とか認知機能とかが確かに衰えてしまうけれど、
無くしたものの代わりに、ヒトが本来備えていたはずの「野性のカン」みたいなものが
研ぎ澄まされるような感じがする。
例えば、接する側の本心みたいなものを、センサーで敏感にキャッチ出来るように思う。
侮ったり、馬鹿にしたりして接すると、
それが問題行動の引き金となるのはそのためである気がするのだ。
そして、そういう「野性のカン」の一つが「テレパシーみたいなもの」なのだろう。