まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

教師はスーパーマンじゃないよ。

岩手で中2男子がいじめを苦に自殺した事件。
巷では生徒が担任とやり取りしていた連絡ノートの記述を根拠に、
担任を「人殺し」呼ばわりしているようだ。
その中にはメディアにしょっちゅう登場するお馴染みの
「教育評論家」まで混じっている。

・・・わたしのクラスの子が自殺していたとしたら。
わたしは「経験不足で無能な新卒女性教師、
いじめを見過ごして児童の自殺防げず」とかなんとか書きたてられ、
大変なことになっていたんだろうな。
わたしが4月の時点でAくんのお母さんにいじめがあったことを伝え一旦収束したことも、、
家庭で継続して観察して欲しいと伝えたことも、
すべてなかったことにされてしまい、
Aくんのお母さんがテレビカメラに向かって
「先生は何もしてくれなかったんです・・・Aを返してください!」
とか何とか涙を流しながら訴える様子が繰り返し繰り返し放送されるんだろうし、
うちのクラスやほかのクラスの子たちが
「先生は、時々立ち往生しちゃって泣いたりしてた」
「放課後音楽室で頭がおかしくなったみたいにピアノ弾いてた」
とか面白おかしく話す様子が(もちろん顔と声を加工した上で)繰り返し流れるんだろうし、
テレビレポーターが深刻ぶった口調で「正義の味方」よろしく、
わたしを吊し上げる様子が全国放送で流されてしまうんだろうな。
そうなったら、いくらわたしが
「Aくんのお母さんに注意深く観察してくださるようお願いしてましたが、
何の連絡もなかったので変わったことはないと思っていました」
なんて言ってみたって
「責任転嫁するな、この人殺し!」
の大合唱、誰も耳を貸してくれないだろうし、
あとは教師を辞めて民事訴訟の餌食になるか、
首をくくって自死するしかなかっただろうな。

・・・どうして、誰も「保護者は何をしていたのか?」と言わないの?
第一、自分ちのたった一人か二人の子供の異変にも全く気付かない人が、
いったいどんな顔して教師を責めるの?
「保護者」は学校から連絡が来なければ、
同じ家で暮らしている自分の子供がいじめられているかどうか、
まったく気が付かないって言うの?
顔色一つ変えないで子供が自殺するなんてこと、あるわけないのに?
そういう異変にまったく無頓着だったことを悔いるのでなく、
それが当然のことだった、仕方なかったと胸を張るの?
そういう自分たちのあり方にはまったく「落ち度」はなく、
一人で数十人の生徒を見ている教師にすべての責任を負わせて当然だと?

ふざけるな!と言いたい。
教師はスーパーマンじゃない。
あの聖徳太子だって、一度に十人の訴えを的確に処理しただけで、
「豊聡耳」とか言って大層驚かれたんじゃなかったっけ?
それが、教師は三十人、聖徳太子の三倍なんだよ。
第一、今回の事件では担任が生徒と「生活連絡ノート」のやり取りをしてたんだよね。
三十人の生徒たちが書いてくるノートに目を通し、コメントを書いて、
その日の下校までに返さなくちゃならないんだよ。
自分の授業もあれば、そのほかに煩雑な事務もあり、ボランティアの部活指導もあるのに、
そのほかに三十人分の連絡ノートまで!
どれだけそれが大変なことなのか、みんな分かっているんだろうか。

それに、自殺した生徒が書いた文章を読んだけれど、
「ふざけて書いたのか?!」と思うような書き方だった。
一読してすぐ目につく「市にたいです(=死にたいです)」みたいな、
出来損ないのワープロソフトの誤変換みたいな書き方もだし、
文体そのものが、ふざけた感じと言うか、
とても追い詰められて本気で死を考えている人物が書いたものとは思えないトーンなのだ。
(うちの娘に「どうして誤変換みたいな変な書き方するのかなあ?」と尋ねてみたら、
「あたしはそういう書き方しないから推測だけど、
『死』っていうそのものズバリの漢字を使うと衝撃が大きいって感じがするから、
別の漢字を使ってそれを和らげてるんじゃないのかな?
・・・まあ、日本古来の『婉曲表現』の発展形みたいな感じ?」だって)
担任の先生の年齢は分からないけれど、
もし先生がわたしと同世代だとしたら、
あの文章から危機感は全く感じ取れなかっただろうと思う。

いじめ自殺事件が起こると、世間の人々はすぐ
「学校が悪い!無能な教師が悪い!」と言う。
まるで、学校や教師はプロレスの「ヒール(=悪者)」みたいだ。
最初から悪だと決めつけられている。
反対に自殺した子の保護者は「ベビーフェース(=善玉)」。
子供を(無能な学校のせいで)突然失った悲劇の主人公扱いだ。
でも、冷静に考えてみれば、
自殺させるほどひどくいじめた奴らが一番悪いんだから、
責められるべきはそいつらなんだ。
そいつらが子供なのなら、保護監督責任のある親権者にも責任が生じるだろう。
でも、そいつらが「未成年者」ということで、
どこの誰なのか報道することも出来ないし、当然親が誰なのかも報道出来ない、
それじゃあ話にならないから、
学校の教師と校長へ矛先を向ける・・・というのがお定まりのパターンなのだ。
そして、教師はまるで魔女狩りみたいに吊し上げられ、社会的生命を絶たれてしまう。
言論の自由は保障されなければならない」なんてみんなお題目みたいに言うけど、
いじめ自殺事件でつるし上げを食った学校関係者には、
反論の機会すらまったく与えられないのだ。

みんな、どうなれば満足なの?
担任の先生が自殺すれば快哉を叫ぶの?
社会正義が行われたとでも言って喜ぶの?

とにかく、教師はスーパーマンじゃない。
親が責任放棄して、教師にすべてを押し付けるのは止めてもらいたい!
と元教師の端くれは思うのである。