まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

K先生のこと

ちょっと前にあったこと。

普段ほぼ没交渉の姉から突然の電話。
怖々出てみると「K先生が亡くなった」と。

びっくりした。
だってわたしの気持ちの中では、
K先生は「太陽」そのもので、
沈んだきりになることなんか絶対ないと思っていたから。

告別式に行くという姉夫婦と会わないようにするため、
わたしはお通夜に行くことにした。
東北地方のとある町、駅にほど近い葬祭会館。
驚くほど小さな会場で通夜は営まれた。
遺影のK先生は35年前と変わらない太陽のような笑顔。
まだ74歳だったそうだ。
昨年秋に体調不良を訴えて受診、
余命3か月の末期ガンと判明したそうなのだが、
先生は「最後までいつも通りの生活を送りたい」と、
痛み止めを飲みながら自宅で奥さまと暮らしていた。
しかし、今年に入って容体が急変、入院して数日で帰らぬ人となった。

「K先生らしい最期だったのだな」と思った。
勇気を出して棺の中の先生を見たら、
もともと小柄だった身体が信じられないくらい小さくなって、
まるきり知らない人のようになってしまっていた。

K先生は、太陽が小さな男の人の姿を借りて
地上に下りて来たかのような人だった。
いつも元気いっぱい。
輝くような笑顔を浮かべ、小柄な身体全体から溢れるようなエネルギーを放射して、
周りを明るく照らしているかのようだった。
(実際、おつむの毛が薄くておでこが光っていたが)
せかせかせかせか!と勢いのある足取りで近づいて来るなり、
わたしの肩をポンポンポン!とたたき、
「栗ちゃん、楽しくおやりよ!」
「(演奏会で)失敗するかも、と思ったら楽しくなんか出来ません」
とわたしが湿度100%の声で返事をすると先生は、
「なーに、失敗したって死にゃあしないさ。」
そして、
「ボクなんかさ、栗ちゃん、いつも社長に『Kくん、出て行きたまえ!』って
会議で怒鳴られたりしてるけどさ。
でも、殺されりゃしないさ!って思うから平気なんだよ。
これが江戸時代だったら、殿様の怒りを買ったら切腹させられたりするとこだけどさ、
今はそんなことになりゃしないんだから!
だから栗ちゃん、失敗したって死にゃあしないんだから、
とにかく、楽しくおやりよ!」
そして、わたしの肩をまたポンポンポン!とたたくと、
勢いのある足取りでせかせかせかせか!と去って行くのだった。

陰気でひねくれた中学生だった当時のわたしには、
先生の言葉の真意が分からなかった。
だから、時に先生に向かって
「先生はご自分でステージに立つ必要がないからそんな呑気なことがおっしゃれるんです。
失敗したらどうしよう?って思ったら恐ろしくて恐ろしくて、
とても楽しくなんかやれません!」
なんて言ったりもしてたのだ。
でも、先生はそんなわたしに腹を立てたりすることもなく、
「そっか、ボクは呑気かあ。
そうかも知れないな。
でもね、栗ちゃん、とにかく、楽しくおやりよ!」
そして、太陽のような笑顔でハッハッハ!と笑い、
わたしの肩をポンポンポン!と叩くのだった。

「栗ちゃん、波風立てないで行けるうちは、
波風立てない方がいいんだよ」
ひねくれた言動で周囲の大人の神経を逆なでするようなところがあったわたしを、
先生はたびたびそう諭してくださった。
そして、ご自分が見聞きした様々なことを、惜しげもなく話してくださった。
わたしも、徐々に先生に心を開き、
ひねくれて可愛げのない鎧の中の、
本当の自分を先生には見せられるようになった。
先生はそんなわたしをとても面白がり、可愛がってくださった。

そう、先生はわたしの話に先入観なく真摯に耳を傾けてくださった、
初めての大人だったのだ。

高校に入るとき、姉との軋轢に耐えかねて音楽の道を諦めざるを得なくなった。
K先生にだけは本当の理由を話した。
先生は驚いた様子だったが、わたしの話を聞き終えると、
「分かった、栗ちゃん。
キミのしたいようにおし。」と言った。
そのあとで、
「音楽を全部辞めちゃうのかい?」
「いえ、ピアノだけは大好きだから続けようと思ってます」と答えると、
「そうか・・・。でも、はっきり言っておくよ。
・・・キミのピアノは上手くない。」と言った。
先生の口調は少しだけ残念そうだった。

「栗ちゃん、楽しくおやりよ!」
K先生が何千回も繰り返してくださった言葉の真意を、
わたしは30年以上経ってようやく理解することが出来た。
同じことをするにも、
歯を食いしばり苦痛に耐えながらやるのは下策、
一見楽しめなさそうなことでも楽しんでやる方策を見つけてやるのが上策なのだと。
それが分かったとき、うつ病寛解へ向かい始めたのだった。

両親の死でバタバタし、その後父の死の悲しみを引きずっていたわたしだったが、
昨年の夏ごろから「K先生に会いに行きたい」と思うようになった。
手紙の下書きをしては破棄し、先生の勤め先のHPのOB会のページで
先生のお元気そうな笑顔の写真を見ては安堵したりしていたのだが・・・。
結局手紙も出さずじまいのまま、K先生は亡くなってしまったのだった。

・・・K先生、紆余曲折いろいろありましたが、
お蔭さまで今は元気で幸せに暮らしております。
「楽しくおやりよ!」と言う言葉は我が家の家訓として、
二人の子供たちに繰り返し繰り返し教えております。
先生の教えはどんなに辛いときでも、
わたしの心の中で灯りをともし続けてくれました。
先生と出会うことが出来た幸運を、
わたしは一生感謝し続けると思いますし、
先生のように人の心に灯りをともすことが出来るように、
これからの人生を生きて行きたいと思っております。
どうか見守ってやってくださいね。