まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

義父はとにかく外へ出たくて必死なのだ

義父が入っている老人ホームの運営母体は総合病院。
そんな訳で血圧の薬や前立腺がんの薬はホームでもらっている。
しかし、その病院に精神科はないため、
どうしても家族が1か月に1回精神科に連れて行かなくてはならなくなった。
 
もうすぐホーム入所後初めての精神科通院日。
ケアマネさんと打合せのため久しぶりにホームへ行った。
相も変わらず帰宅願望が激しく、日がな一日出口を探して徘徊している、
という話などを聞いて夫と帰ろうと思ったら、
ケアマネさんが是非義父に会って行けと勧める。
夫と顔を見合わせていたら「大丈夫、息子さんに会ったあとは結構落ち着いてましたから」。
そんな訳でわたしと夫とは義父に会うことになった。
 
久しぶりに家族と会ったと言うのに(夫のことははっきり「息子」と分かったようだ)、
義父に笑顔はなかった。
夫に「それとそれは置いて行くから、ここにあるのだけ持って行け」と
部屋の一角を示しながら、義父はキャップをかぶろうとした。
(田舎のじいさんは皆いついかなる時にもキャップをかぶる。
結婚式や葬式の時にも礼服にキャップをかぶって来るツワモノもいるくらいだ。
ここで言うキャップとはオサレなヤツじゃなく、ホームセンターで980円とかで売ってるもののこと)
夫が慌てて「今日は迎えに来たわけじゃないんだ」と言うと、
「ああ、そうか」と言いながらキャップを脱いで置いた・・・と見せかけて再びかぶろうとする。
「今日はな、迎えに来たんじゃないんだ。親父はここにいてくれ」と夫がまた言うと、
義父は「ああ、そうか」と言いながらキャップを脱いでテーブルに置いた・・・と思ったら、
今度はベンチコートを着ようとし始める。
「あのな、一緒に帰るんじゃないんだ。顔を見に来ただけなんだ。
俺はこれから仕事があるから」夫がコートを脱がせながらそう言うと、
義父は「ああ、そうか」と言ってテーブルへ歩み寄り、キャップを取り上げてかぶろうとする。
それを見た夫が「帽子はいらない。外へ行かないから」と言うと・・・という具合に、
何とかして連れて帰らせようとする義父と夫とのエンドレスの攻防戦が続いた。
(義父はわたしのことは当然誰なのか分からないままだった。
わたしのことをちらっと見ただけで、あとは目を合わせないようにしていた)
その様子に部屋の入口で様子を見ていたケアマネさんが助け舟を出す。
「コウセイさん(義父の名前の音読み)、息子さんたちは今日、
うちのホームの家族会に来たんですよ。
コウセイさんはここで待ってましょうね」
そう言いながらわたしと夫を上手く部屋から連れ出すと、義父もちゃんと付いてくる。
「コウセイさんはお部屋で待ちましょうか」
そう言われても義父はなかなか部屋に入らない。
「入ったら最後だ」とでも思ってるみたいにイヤイヤをして廊下に立っている義父に、
「コウセイさん、もうすぐおやつの時間ですよ。
準備出来るまでお部屋で横になっててくださいね」とケアマネさんが穏やかに声を掛けると、
義父が部屋に一歩入ったので、わたしたちは急いでその場を離れた。
エレベーターに向かいながらちらっと振り返ると、
確認用の小窓の向こうに義父の頭が見えた。
ドアから離れようとしないらしかった。
「ケアマネさんは大丈夫って言ってたけど、後で大変なことになるんじゃないかな。
『置き去りされた!』とかって言ってさ。病院でも何度かあったけど」
帰り道車の中で夫にそう言うと、「俺もそんな気がするよ」と返事があった。
 
わたしたちの心配は的中したらしかった。
「この間、息子さんご夫婦が帰ったあと、もう大変な興奮状態になりまして。
ホームに来て以来一番ひどかった!というくらいの興奮ぶりでした」
ついでがあったので電話して来たケアマネさんの弁。
やっぱり言わんこっちゃない。
リスペリドンを飲ませても興奮は全く収まらず、結局眠剤も飲ませて、
さらに薬を追加して・・・といろいろ試してようやく寝かせたのだそうだ。
少し前には、義父がホームからあわや外へ出る・・・という事態になったこともあった。
面会に来た他の入所者の家族と一緒にエレベーターに乗った義父、
まんまと1階に下りることに成功して、自動ドアのところにいたのを、
たまたま外出先から戻ったケアマネさんが運よく捕まえたから良かったものの、
一歩間違えば外に出てしまうところだったのだ。
極寒の真冬の東北地方、雪で覆われて分かりにくくなっている用水路に落ちて溺死するか、
うっかり線路に入り込んで列車にひかれるか、
徘徊した挙げ句疲れて座り込んでしまい凍死するか。
本当に危ないところだった。
 
「ここは牢獄だ。
俺の手には見えない手錠が付いてるんだ。
取ってくれ」
入所したての頃、義父はそう訴えながら義母の目の前に自分の両手を差し出したそうだ。
「何だかオヤジが可哀想になって来る」
義母はそう言うけれど・・・。
そして、そういう気持ちが分からないではないけれど・・・。
義父にはホーム以外に行けるところがないのだ。
自分がどんなに極悪なことを長年やらかしてたかきれいさっぱり忘れてしまった義父は、
「姥捨て山に棄てられた、刑務所に押し込められた。
出してくれ、連れて帰ってくれ」と自分が被害者みたいな顔をしながらエンドレスで訴えて来るけれど、
そもそもそんなところへ押し込められることになったのだって、
全部自分が蒔いた種、身から出た錆なのだ。
 
そんなことは微塵も覚えてなくって、義父はひたすら「俺は閉じ込められた」。
そして、まるで動物園の猛獣みたいに出口を探して徘徊を続ける。
身体がすっかり弱って独りで立てなくなるその日まで、
もしかしたら義父のウロウロは続くのかもしれない。