まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

若人よ、引き出しを増やしましょうよ。

などとエラそうなタイトルを付けてしまいましたが・・・。
 
日本のアニメーションが国際的なコンクールで入賞出来なくなって来てるらしいですね。
・・・分かる気がするなあ。
みんな「見せたいビジュアル」ばかりで「訴えたい内容」がないのですよ。
今どきの深夜アニメ枠なんか、設定はいろいろ違ってるように見えても、
結局のところ美少女たちが戦闘する物語ばっかり。
つまり、作ってる人たちが「戦う美少女を見せたい!」ということしか考えてないんでしょうね。
どうでもいい話で戦闘シーンをつないでるだけ。
映像はスゴイですよ、動きといい、エフェクトといい、
次から次へと「見たこともないような映像」のオンパレード。
でも、ただそれだけ。
「へえ、すごい戦闘シーン。・・・それで?」って言われちゃったらおしまい、
という内容的に非常に寂しいアニメ―ションだらけになっちゃってるのです。
だからこそ、訴えたい内容がしっかりしている外国の作品に負けてしまうのですね。
 
みんな、引き出しが少なすぎじゃないかな。
アニメ―ション作家になろうと思ってるからって、
最近のアニメーションばっかし見てたらいいものなんか出来ません。
古今東西の文学、神話、洋邦の映画や絵画、黎明期からのアニメ―ション・・・。
あらゆるものを自分の中に取り込んで引き出しを増やさなければ、
いいものなんか生み出せるはずがありません。
「○○バカ」になっては絶対にいけないのです。
 
アニメーションを引き合いに出しましたが、
日本ではこの「○○バカ」が多すぎる気がします。
野球のことしか知らない野球バカ、サッカーのことしか知らないサッカーバカ、
入試の突破方法しか知らない入試バカ・・・。
この「○○バカ」が巷に溢れ返っていることが、実は大問題で。
ひとたび思いもよらない事態に見舞われて○○を続けられなくなったり、
○○の世界で取り返しのつかないような失敗をしてしまったりしたとき、
「○○バカ」はそれ以外の世界を全く知らず、生きて行くことが出来なくなってしまうのです。
 
それにも関わらず日本ではこの「○○バカ」的な生き方を礼賛する風潮があるのですね・・・。
 
わたしが尊敬しているからくり儀右衛門(東芝創始者)は、
「万般の機械考案の依頼に応ず」という看板を掲げて、
どんなものでも作る、ということに終生挑戦し続けたそうです。
国宝として名高い「万年時計」を作ったのは中年を過ぎてから。
儀右衛門は時計作りに必要な知識を学ぶために西洋の天文学などを全て勉強して、
その結果得たものを「万年時計」に注ぎ込んだのです。
儀右衛門は天文学だけでなく、物理学、医学、砲術などあらゆる学問を学び、
そういったものがあったからこその「万般の機械考案の依頼に応ず」だった訳です。
儀右衛門がからくり好きだったからといってただの「からくりバカ」だったなら、
かの万年時計も無尽灯も生み出されることはなかったことでしょう。
 
・・・てなことを考えているゆえ、芸術系への進学を希望している娘にも、
母は「引き出しを増やさなくちゃダメなのよ」と言い続けています。
とりあえず、自分の好きなジャンルから。
娘が家を出るまでにオススメ映画を出来るだけ沢山一緒に見たいと思っている母なのです。