まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

次の段階へ

義父は精神科の閉鎖病棟に入院継続中。
 
週に1度、一人で面会に行く。
調子のいい日には「ああ、どうも」と笑顔の義父だが、
調子の悪い日にはわたしが誰なのかが全く分からない日もある。
「面会の方ですよ」と看護師さんに言われても不安と困惑で固まったまま、
何か話しかけても「はあ」とか「恐縮です」とか他人行儀な態度。
そういう日は「お元気そうで安心しました。これで失礼いたします」と
こちらも他人行儀な挨拶をして早々に引き上げる。
 
先日関東地方にお嫁に行った義妹夫婦が様子を見に来たのだが、
その日義父は生憎調子が悪かったらしく、
義妹が誰なのか分からない様子だったと一緒に行った夫が言っていた。
義父はうつむいたまま義妹と目を合わせようとせず、
ほぼ言葉を発することがなかったそうだ。
あらかじめ「もしかすると誰か分からないかも知れないけど、
『どうして分からないの?』とか『○○だよ、お父さん!』とか言うと混乱するから、
何喰わぬ顔をしてスルーしてくれ」と
夫がよく説明しておいたから混乱はなかったそうだ。
「お父さんのことは兄さんたちに全部任せるから」とわたしたちに全権委任して、
義妹夫婦は帰って行った。
 
そろそろ退院後のことを考えなければならない段階に来た。
そんな矢先、待機リストに入れてもらっていた有料老人ホームから
「空きが出そうだが入居を希望するかどうか」という連絡が来た。
早速主治医に事情を説明すると、
「今のところ落ち着いていて、入居出来る状態だと思う」との返事。
「このまま家に帰れないんじゃ可哀想だ、何とか家で面倒見られないか?」と内心思っていた義母に、
「ただし、家で看護するのは難しい・・・というよりは止めた方がいいと思います。
施設に入れて服薬管理などをしっかりしてもらった方がいいでしょう」と医師がクギを刺してくれたので、
ようやく本当の意味でゴーサインが出た感じになった。
老人ホームに「入居希望」と連絡したら、早速病院側と日程を調整して
本人の面談に行きますから、ということだった。
 
主治医からはもう一つ話があって、
「病院に入って刺激がない生活になったので、
認知症はかなり進みました」ということだった。
長男のヨメなんて赤の他人であるわたしを忘れるのは当然だとしても、
一人しかいない娘のことも分からなくなってしまったり、
未だに「ホテルに置き去りにされた!すぐ迎えに来てくれ!」などと義母に電話して来たり、
「俺はここで職人の修業を受けてるから2年間は家に帰れない」なんて言ってみたりと、
「だいぶ進んだんだなあ」と思うエピソードがあとからあとから出て来るようになった。
そんな時「あのタイミングで病院へ行くように勧めたのは正しかったんだろうか?」と思ってしまう。
確かに家で包丁を持ち出したり、義母の首を絞めたりはしていたけれど、もしかすると
「殺そうと思って絞めてるんじゃなく、ちゃんと分かってて加減してるんだから。
包丁だって本当に死ぬ気なんかないんだし、大丈夫なのよ!」という
義母の言葉通りだったかもしれないんじゃないか、わたしの勇み足のせいで認知症が進んじゃって、
家へも戻れないような状態になっちゃったんじゃないか・・・などとグズグズと考えてしまう。
夫は「あそこで病院へ行くように勧めてくれて本当に感謝している」と言ってはくれるけれど・・・。
義母は多分「あのまま家に居させてやってたらこんな風にならずに済んだ」と
思っているんじゃないかと思うのだ。
わたしは必死で最善策を取ったつもりだったけれど、
結果として老夫婦にむごいことをしてしまったのかも知れないな・・・。
 
何にしても、義父は次の段階へ進むべき時を迎えつつあるようだ。
精神科から老人ホームへ。
場所は変わっても、義父が少しでも楽しく快適に過ごせるように皆で知恵を出し合って行こうと思う。