まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「釋牲春」さん、あなたは一体どなたなんですか?

昨日、夫に運転してもらい、両親の墓参りに行ってきた。
 
仙台辺りだけの風習なのだろうか、墓には「花竹(はなだけ)を打つ。
これは、竹を切って片方を地面に打ち込めるよう尖らせたもので、
これに名前を書いて花を供えることによって、
誰が墓参りに来てくれたかが分かるようになっているのだ。
今ではプラスチック製のうそっこ花竹ばかりになったけどね。
昨日の時点では、まだ叔母や姉も墓参りに来ていなかった。
 
さて、わたしの家には「○○家代々墓」というのものの他に、
「ご先祖の墓」と言われている小さなお墓が、
同じ墓地内の少し離れたところにある。
ごく一般的な直方体みたいな墓石とは全く違い、
まるでサイコロみたいな立方体の、背の低い小さな(60センチ角くらいか?)墓で、
墓の正面には「釋牲春」という戒名があり、
横に「元禄」の年号が見て取れるものである。
 
「・・・ねえ、これ、誰のお墓なの?」
小さかった頃から何度か父に尋ねたのだが、その度に父は
「ご先祖さまってことしか分かんねえな」としか言わなかった。
なんとなくずっとそれで納得していたのだが、最近どうにも気になってちょっと調べてみたら、
元禄とは1688年から1703年の間のことであり、
庶民の間で墓石を建立するのが一般的になったのは、
江戸後期の1800年代になってからのことらしい。
それ以前の庶民の墓とは、河原石を積んだだけみたいな簡素なものばかりで、
その頃きちんとした墓石を建てられたのは、
武家以外だと庄屋などのごく限られた人たちだけだったのだそうだ。
 
・・・おかしい。
うちは確か大工の家だったはずだ。
「ご先祖様はな、大工の棟梁だったんだぞ」という話は聞いたことがある。
本当かどうか分からないけど、伊達の殿様にくっ付いて仙台の土地へやって来て、
それ以来ずっとここに住んでいるんだぞ、というようなことも。
(「絶対嘘だ、そんなの」って子ども心に思ってたけど)
それにしたって、どうして個人名の墓なんだろう。
「釋牲春」ってどことなく女性を思わせる戒名のような・・・。
 
夫はニヤニヤしながら、「きっとこの人はさ、お城に奉公に上がって
殿様のお手つきか何かになった人だったんだよ」とか、
「もともとお武家さんの家柄だったんだけど、家が没落しちゃって
大工になっただけだったんだよ」とか、
毎度勝手な推理を披露して一人悦に入っている。
・・・2時間ドラマじゃないんだから、
素人が推理をご披露くださらなくっていいんだけど。
 
一体誰なんだろう、「釋牲春」さんって。
詳しく調べてみたら、実は縁もゆかりも全くない、赤の他人だったりして・・・。