まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

盲導犬をめぐるニュースから感じること

埼玉県で目の不自由な男性のパートナー犬「オスカー号」が、
何者かに臀部を数か所刺されてけがをしたという。
ラブラドールレトリバーをはじめとする大型犬は皮膚が厚くて丈夫なため、
今回のような怪我はアイスピック状のもので、
しかもかなり強い力で刺さなければできないそうだ。
盲導犬は「吠えない」「咬まない」を徹底して躾けられており、
犯人はそれを悪用して犯行に及んだものらしい。
盲導犬を巡っては、これまでも故意に足やしっぽを踏みつけられたり、
タバコの火を押し当てられたり、顔にマジックでいたずら書きされたり、
といった悪質な事件が起こっているという。
一方で「動物愛護」の観点からと称して、
「(盲導犬の訓練は)動物虐待だ」といった嫌がらせの電話などが
盲導犬の訓練センターに寄せられる事例が増えているという。
 
・・・ため息が出る。
みんな、何をそんなにピリピリしているのだろう。
一体日常生活の何がストレッサーになって、
そんなにも「不寛容」な気持ちになってしまうのだろうか。
 
娘が1か所目の幼稚園に通っていた頃、同級生のお父さんが目の不自由な方だった。
幼稚園の行事があるたび、盲導犬と一緒に参加していた。
運動会のときなど、人間でも耳をふさぎたくなるような歓声やピストルの号砲などが響いていたけど、
黒い短毛種のレトリバー犬は「伏せ」の体勢のまま、
パートナーの足元でおとなしくしていた。
幼稚園児たちに取り囲まれてなでまわされたりしっぽを引っ張られたりしても、
吠えるでもなく唸るでもなく、ちょっと困惑したような表情を浮かべてじっとしていた。
行事が終わって帰る段になると、別の犬になったようにシャキっとし、
パートナーの命令を忠実に果たしつつ、パートナーの方をちらっ、ちらっと確かめながら
歩いていくのだった。
その姿は「虐待されている可哀想な動物」などというものではなく、
「誇らしげに働いている活き活きした動物」と呼ぶべきものだと感じた。
 
盲導犬を巡っては、相変わらず「入店拒否」するところがあったり、
とにかく社会の「不寛容」の犠牲になっている事例が多くみられるようだ。
 
学校での「いじめ」といい、今回の事件といい根底には共通したものを感じる。
自分より弱く(盲導犬がもし本気で攻撃してきたら人間などひとたまりもないのだが)、
反撃して来ないものに対して攻撃を加えることを、卑劣とも感じない心。
いったい何がそうさせるのか?
もう少し深く考えてみる必要がありそうだ。