まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ジブリ、新作制作を停止へ

スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーは
ジブリの制作部門を休止させ、新作制作をしばらく止めると
株主総会で宣言したそうだ。
 
良い選択だったと思う。
ジブリにとって「駿ショック」は余りに大きすぎたようだ。
 
現在公開中の「思い出のマーニー」を高1の娘が友達と見て来た。
帰宅した娘に、
「どうだった?ジブリの将来は明るそうだった?」と尋ねると娘は
「お先真っ暗、という感じだったな」と。
まず、娘は杏奈が日本人なのに(少なくとも日本人の血が混じっているのに)
「目が青い」ということに引っかかったそうだ。
「だってさ、黒い目って優性遺伝でしょ?
だから、いくらマーニーが杏奈のおばあちゃんで杏奈は四分の一外国人だって言っても、
目が青くなるなんてことは絶対にないはずでしょ?
もうそこで引っかかっちゃったんだよね。」
娘は杏奈のキャラクターにも異議を唱えた。
「第一ね、あんなヤツに共感なんか出来ないよ。
親切にしてくれる女の子にね、太っちょブタって言うんだよ!
恩知らずな発言だって言うのはひとまず置いといて、
太っちょって何?今どきそんな表現する子、どこにもいないよ。
マーニーと話すときの口調だって、『~だわ』とか言うんだよ!
今どき、あんな言葉遣いで話す子なんか一人もいないわ!」
そして、ストーリー的にも非常に分かりづらかった、
主役の二人がやたらとハグし過ぎですごく気になった、
ジキル博士とハイド氏みたいに杏奈の気持ちがコロコロ変わって、
とても付いて行けなかった、とも言っていた。
 
耳をすませば」を監督した近藤喜文監督が存命であれば、
まだ状況は好転したかもしれない。
でも、近藤監督はもう亡くなってしまっているのだ。
どうしようもない作品を世に送り出して「みそを付けた」と言われるより、
新作制作の停止を選んだた鈴木プロデューサーの英断かもなあ・・・と思う。
 
以前、スタジオジブリのドキュメンタリー番組を見た時に感じたこと。
宮崎駿」という天才がもたらした「功罪」の、「罪」の大きさ。
人一倍タフ。
馬車馬のように休みなく仕事をしても体調一つ崩すでもない、
文字通りのワーカホリックで、周りの人間にも自分と同じ働き方を求める宮崎監督。
東日本大震災の後も、すぐにそのペースで仕事を再開させていた。
そのような仕事のやり方を強制される中で、何人もの将来有望な人たちが斃れて行ったのだ。
その筆頭が近藤監督だったのだと思う。
 
宮崎監督という存在は、稀有な強い光を長年放ち続けた。
しかし、その強過ぎるほど強い光の反対側には、
濃すぎるほど濃い影が生み出されていたのだろう。
孤高の天才の宿命か。