まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

メマリーの魔法

病院で確定診断を受け、「メマリー」5mgの服用を始めて約1週間。
初めて義父に会った。
週末実家に泊まっている夫からは「薬が効いたみたいだ」と聞いてはいた。
しかし、直接義父に会っての感想は・・・。
 
すごーい!!!
1週間前とは別人だ!!!
表情からしてはっきりとしているし、
言語明瞭、理路整然(覚えている限り、
こんなに分かりやすく筋道立てて話すところ、初めて見た!
というレベルだ)、
しかも・・・仏さまになったみたいに穏やかで温和になってる~っ!!!
 
昨日、すっかり虫歯が進んでボロボロになってる歯を治しに歯医者へ連れて行ったのだが、
義母が「歯磨きしないから、こんなになった」としつこく何度も言ったと言うのに、
言葉を荒らげるどころか、義父は温和な微笑も全く消すことなく、
「失礼な。お前さんが見てないだけで、歯磨きはしてるんだよ」と
穏やかそのものの口調でのたもうたのだ!
わたしは驚いて、目玉が飛び出し、椅子から転げ落ちそうになったぞ。
 
だから、義母の喜びよう、はしゃぎようったらなかった。
「すっかり良くなった、治ったみたいだ」と一体何度聞かされたか。
ずっと病院の待合室で隣に座らないだけじゃなく、
義父との間に荷物を置き、わたしを座らせ、さらに一つ空けてようやく座る、
という状態だった義母が、歯医者の帰り道、
「わたし、助手席じゃなくて、お父さんと並んで後ろに乗るから」って。
それだけじゃなく、「こんなに良くなったんだから、急いで車の運転止める必要ないんじゃない?
もうしばらく薬飲んだらまた検査してもらって、良くなってたら、
お医者さんにまた運転しても大丈夫って言ってもらえるんじゃないかと思う」って。
 
そのはしゃぎようを見ていて、暗い気持ちになった。
今の状態は、薬が一時的に作りだしたもの。
喜ぶ気持ちは分かるけれど、遅かれ早かれ魔法が解けてしまう時が来るのだ。
(わたしのとうさんも、薬で一時的にうつ状態が改善した時期があった。
「良くなった、元のとうさんになった!これで一安心だ!」
と愚かなわたしは喜んだのだけれど・・・。
元気な状態はたったひと月しか続かなかった。
衰弱して代謝が悪くなったとうさんの身体に薬が蓄積されてしまい、
パーキンソン症候群を起こしてしまったのだ。
力を加えると作用と反作用が起こるように、
薬を服用すると薬効と同時に副作用も必ず起こる。
そこのところのバランスを上手く保てればいいのだけれど、
こと高齢者に関しては、様々な機能が衰えていることが原因で、
バランスを保ち続けるのが非常に難しいものなのだ、
というのがとうさんの面倒を見てわたしが感じたことだ)。
 
レナードの朝」という映画を思い出した。
原因不明の昏睡状態で何十年も眠り続けたままの奇病の患者に、
L-ドーパを投与して(一時的に)回復させた医師と、患者たちの物語。
「もう目覚めることは二度とないのかも」と諦め半分で息子の面倒を見続けていた母親は、
息子レナードが再び起き上がり、自分に微笑みかけ、会話するようになる奇跡に狂喜する。
しかし、薬の劇的な効き目は徐々に消えて行く。
ドーパミンを増量することで抑えていた痙攣や麻痺が抑えきれなくなり、
「(よりよい治療法を見つけるために)自分から学べ」と
医師に自らを記録させたレナードは、
カメラの前で徐々に状態が悪化し、最終的には再び昏睡状態へと戻ってしまうのだ。
奇跡が与えた喜びが大きかった分、激しい絶望感に襲われる周囲の人々。
そして、何より一度取り戻したかに見えた人生を、
再び失わなければならなかった患者たち本人。
見終わった後も、長いこと引きずってしまうほど、重い映画だった。
 
義母はメマリーの魔法が解けてしまうことを理解してないようだ。
認知症は今の医学では「治す」ことは出来ないものなのだということを。
数か月、良くて一年程度、症状の進行を抑えることしか出来ないらしいのに。
喜んじゃいかん、とは言わない、
でも、どこかで冷静な気持ちを持ち続けておかないと義母自身が非常に辛くなるだろう。
 
そうかと言ってあんなに大喜びしてはしゃいでる気持ちを、
ぺしゃんこにさせてしまうのは残酷過ぎるものなあ。
うーん・・・