まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

認知症を理解するために読んだ本その1~「おばあちゃんが、ぼけた」~

認知症関連の本を何冊か読んでいる。
 
その中でも出色の一冊だと思ったのが、
「おばあちゃんが、ぼけた。」(村瀬孝生著、サンマーク出版)だ。
 
この本は、かつて理論社(何と、倒産してしまったのです!)から出されていた、
よりみちパン!セ」という、ものすごく面白い中学生向けのシリーズものの1冊で、
わたしもだいぶ前に一度読んだことがあった。
でも、その時はまだ老人ホームでのボランティアもしていなかったし、
当然両親も元気そのものだったので、
「何だか、下の話ばかり出て来るし、挿絵が強烈だ」という印象しか残らなかったのだ。
 
認知症関連の本を図書館へ借りに行って、
あまり期待せずにこの本も借りて来たのだが・・・。
驚いた。
こんな風に老いを、ボケを(この本では頻繁にこの言葉が出て来る)、捉えた本は初めてだった。
そもそもが中学生向けだからあまり厚くもなく、
「βアミロイド」とかいう認知症本なら必須、
みたいな専門用語も一切出て来ないこの本を読みながら、
わたしは思わず声を上げて笑い、懐かしい人のことを思い出して微笑み、
涙を流し、そして厳粛な気持ちになった。
 
この本を書いた村瀬孝生さんは、仙台にある東北福祉大学を卒業したあと
福岡の特別養護老人ホームの職員になった。
そこでの「効率至上主義」の介護が、
介護する側・される側双方をだめにすることを身を持って実感し、
そこを退職、長崎で「宅老所よりあい」の発起人のひとりとなって働くことになった方だ。
この本の最初の部分では特老での出来事、
あとの部分では「よりあい」での出来事を、
村瀬さんというフィルターを通して描いている。
 
村瀬さんの非凡なところは、詩人のような心と目を持って、
認知症の老人を捉えているところだ。
介護のプロでありながら、そのような心と目を持ち続けている点が、
村瀬さんの書かれたこの本を、
数多の認知症関連本と全く違う次元の一冊にしているのだと思う。
 
例えば、こうだ。
認知症と聞くとほとんどの人が連想することそのままに、
「よりあい」の老人も我が子が誰かが分からなくなる。
「自分の親が、子どもである自分が誰かを認識出来なくなる」
というのは、誰もが恐れる認知症の中核症状のはずだ。
それを村瀬さんはこのように読み解いてみせる。
 
>物忘れがあって、時間の軸がねじれてくると、みんなタイムスリップを始めるんだ。
>だから子どもの顔が分からなくなる。だってそうだろう。自分は二十代に遡っているのだから。
>当然、息子や娘たちも赤子になる。けれど現実の子供たちは一緒にタイムスリップが
>できないから七十代のまま。「赤子のはずの子どもたちが七十代であるはずがない」。
>だから思わず言ってしまうのだ。息子や娘に「あんた誰ねぇ」と。
>家族だって泣く。だって母親が、娘や息子である自分の存在を忘れてしまうのだから。
>「お母さん、私でしょ、私のことを忘れてしまったの?」思い出して欲しい。
>そんな子どもたちの愛情は、ときに「ぼけ」を抱えたお年寄りたちを追い詰める。
>タイムスリップした母親や父親に、「今」という現実を認知させるために「訓練」や
>教育的な指導を行ったりするからね。
>でも決して、マサさんは子どもたちのことを忘れたわけじゃないんだ。
>夜になると毎晩のように、とうの昔に成人した子どもたちの「弁当のこと」
>「お乳のこと」「受験のこと」を心配して泣いているんだから。
          「おばあちゃんが、ぼけた。」109~110ページより引用
 
この本で紹介されている「よりあい」での介護は、
お年寄りひとりひとりのペースをあくまでも尊重し、
最後の最後まで「その人らしく生きる」サポートをする、というものだ。
そして、ここが一番大切だと思うけれど、
ただ単にオムツを替えたり見守りをしたり、ということではなく、
ハートで介護をするという姿勢が貫かれている。
介護に正解はないから、村瀬さんたち職員さんたちもお年寄りの家族も、
試行錯誤しながらの毎日になる。
でも、そこにハートがあり、信頼があることによって、
「よりあい」での日々は血が通った温もりのあるものとなっているのである。
 
一生懸命生きて、働いて、子供を育てて、当然のことながら迎えた「老いのとき」。
出来る限り心安らかに、幸せに、最後の瞬間まで生きさせてやりたいと家族ならみんな願うことだろう。
たとえ認知症になったとしても、その人らしく、焦らせたりせかしたりすることなくゆったりと過ごして、
そして迎える最期は決して悲惨なものではない。
そういう最期を迎えさせてやるためには、
この本で描かれているように、認知症を頭だけではなく
心も使って丸ごと理解する姿勢が必要不可欠なのだと思った。
 
この本を、今のうちに読んでおいて本当に良かった。