まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「さわのはな」という米

もうどのくらいの年数になるだろうか。
「さわのはな」という米を、生産者に送ってもらって食べ続けている。
東京で一人暮らししている息子の許へも別送を頼んでいる。
 
きっかけは約20年前に見た光景。
 
その頃わたしたちは山形県南部の小さな町に住んでいた。
もう夏になろうという頃だっただろうか。
町中にいろいろな色の旗が立てられた。
赤や黄色などの小さな旗がずっと。
わたしたちが住んでいたアパートの辺りにも。
「???この旗は一体何なんだろう?」と思っていたある朝早く。
わたしは聞いたことのないような凄まじい物音で目を覚ました。
布団に寝ていても物凄い振動が身体に伝わって来る。
窓ガラスも家中の家具なども振動でビリビリ言い、
わたしは飛び起きて窓を開けた。
 
「・・・地獄の黙示録?!」
すぐそばの田んぼの上をヘリコプターが飛んでいた。
農薬を散布するために。
(赤や黄色の旗は、ヘリに農薬をまいてはいけない場所を
知らせるための目印だったのだ)
しかし、生まれて初めて見た農薬散布は衝撃的な眺めだった。
凄まじい量の農薬!
濃い霧状の農薬がどんどん、どんどん撒かれていく。
 
慌てて窓を閉めながら、わたしはだんだん空恐ろしい気持ちになっていった。
毎日毎日食べるお米、
残留濃度の基準値が決まっているとは言え、あんなに農薬をまいて育てたお米を、
死ぬまで食べ続けてしまって大丈夫なんだろうか?
不安な気持ちになったわたしの傍らでは、
生まれたばかりの息子がすやすやと眠っていた。
 
そんなことがあってからちょっと経った頃。
新聞にチラシが入って来た。
「さわのはな」という米を低農薬で生産している農家から、
お米を直接買うための申込書だった。
スーパーで売っている米に比べてかなり割高ではあったが、
あの光景を見てしまったわたしは躊躇なく申し込んだ。
お店で買うと精白米より割高になる胚芽米も、
同じ価格だということで、5分づきの米を届けてもらうことにした。
 
今では、あんなに農薬を撒かなくなっているのかもしれない。
でも、あの時に見た光景が焼き付いてしまっているわたしは、
ずーっとずーっと「さわのはな」を送ってもらい続けている。
胚芽が付いたままの「さわのはな」は、
炊き上がっても感激するほどピカピカしたりしないけれど、
噛みしめると甘みが広がってとても美味しいお米だ。
何より、家族4人病気もあまりせずに暮らせているのがいい。
・・・お米のおかげなのかどうかは分からないけどね。