まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「人生を主体的に楽しみたい→結婚なんてしたくない!」について

未だお腹の調子が悪いまま。
ほぼ1週間になろうとしているのに。
その間、ご飯は何も付けないトーストか素うどんだけ。
うう、甘いものが食べたい・・・
 
数日前の毎日新聞に、ノンフィクションライターの女性が
現代のアラフォー女性の恋愛観について書いておられた。
新聞自体は資源回収に出してしまって手元になくなってしまったので、
文章はうろ覚えだけれど、内容的にはこんなことが書いてあったと思う。
 
「自分の人生なんだから、「『誰かのため』じゃなくて、
自分のためだけに生きたい、だから結婚なんかしたくない」
そういう女性が増えてきている
 
ノンフィクションライターの女性は「そういう考え方はいいと思う」
と書いておられた。
 
何か、「自由人」って感じがしていいよね、
仕事に恋に遊びにと貪欲に自分の人生を100%自分のためだけに使うなんて、
「しがらみ」とかめんどくさい余計なものに縛られてなくっていいよね、
とまあそういうことなんだろうか。
 
自分の人生を謳歌して自分のためだけに生ききる人生。
そう言えば聞こえもいいしカッコいい。
でも、そんな人生を送るのを可能にしているものが何なのか、
という視点がきれいに抜け落ちている気がする。
それは社会保障であったり、きちんと整備された社会資本であったりする訳だ。
そういう社会の「ベース」がきちんとしていて、何の心配もないからこそ、
「自分の人生を楽しんで何が悪い」という生活を送ることが出来ているのだ。
では、そういう社会の「ベース」を作っているものが何なのかと言えば、
それは国民が納める「税金」な訳で。
自分の人生を謳歌したい→結婚して誰かのためにちょっとでも時間やお金を割くのがイヤ!
というような人が男女問わず増えてしまうと、
次世代の国民を再生産することが出来なくなり、
社会の「ベース」を整備するための「税金」を納める国民がどんどん減る、という事態を招くのだ。
自分の人生を自分のために楽しんで何が悪い!
人生100%楽しまなくっちゃ!と鼻息荒く言っていられる若くて活きのいいうちはいいけどね、
年取って仕事も辞めていい加減元気も無くなって来ちゃった頃に、
雀の涙の年金の80%以上を税金で持って行かれる・・・というような事態になるかもしれない
、という事実をきちんと認識しているんだろうか?と思う。
 
私たちには「個人」としての側面と「国民」としての側面があるように思う。
「個人」としての人生だけを追求し、「国民」としての義務は放棄する、というのは、
どうかと思うんだよね。
国民の義務と言えば「納税」「勤労」「子供に教育を受けさせる」だったはずだけど、
その前提として「次世代の国民を育成する」というのがあるはずなんだよなあ。
憲法にそう明記されてはいないから、社会科の時間にそういう風には習わないけどね。
 
「税金」=国にむしりとられるお金(ものすごい不条理感を伴う)、
「子供」=めんどくさくて、やたらとお金がかかり、キャリアの邪魔になる生きもの、
「結婚」=相手のエゴに振り回される割には目に見えるメリットがないもの、
みたいな捉え方をする人が増えてる気がするんだけどね。
 
少子化の原因は「保育所が少ないこと」じゃなくて、
結婚や子供に対する意識が非常に悪いものになって来ていることにあるんじゃなかろうか。
そして、そういう悪いイメージを抱いているのは、
主に女性側のような気がするんだけどなあ。
どうなんだろうか?