まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

他人に迷惑ばかり掛けてた彼らが・・・(泣)

本当にひょんなことから、
わたしの教え子だった子のブログを見つけた。
彼は自分で小さな店をやっているらしい。
そのブログには、聞き覚えのある名がずらりと並び、
彼らが今もつるんで大騒ぎしながら暮らしていることが分かる。
でも、彼らが、ずーっと、被災地にボランティアしに出かけていることも分かった。
道中、彼ららしく大騒ぎしておバカ写真もブログにたくさんアップしながら、
大工の腕を生かす子、体力自慢で力仕事を引き受ける子等々、
背伸びしたりムリしたりせずに出来ることを地道に続けているらしい。
 
何だかうれしかった。
 
わたしが知っている小学校6年生だった彼らは、
いじめっ子で、暴れ者で、サボタージュの常連で、学年一のワル集団だった。
(クラスメイトだった転校生のAくんからお金を取っていたのも彼らだった。
詳しくはhttp://blogs.yahoo.co.jp/joy_spring2010/6355814.htmlをお読みください)
中学に入ってから耳に入って来る彼らの話はさらにエスカレートし、
バイクを盗んだ、タバコを吸った、酒を飲んだ、暴力沙汰を起こした等々、
所謂「札付き」への道を真っ直ぐ進んでいるようにしか思えなかったものだ。
「一番町(←仙台の繁華街)辺りでうだうだしてるワルに訊いてみて、
あいつの名前を知らなかったら、そいつはモグリです」
みたいな手紙を他の子から受け取ったこともある。
そんな中で、現在お店を経営してる子は、わたしに
「俺は中学に入ってから勉強に目覚めました。
俺は、実は天才だったらしいです」という手紙を寄こした。
小学校の頃は、勉強に興味がなく、成績が振るわなかった彼だったが、
他人の話にきちんと耳を傾け、自分でよく考えることが出来る子だった。
(だから、わたしは、彼らのグループと交渉したい時には、
彼を窓口にしていたのだ。)
仙台でも有名な進学校に進んだ彼の存在があったからこそ、
他の子たちはただの「札付き」へと転落していく道を行かずに済んだのではないかと思う。
 
喧嘩っ早い子、すさまじい自己中心主義で周りを振り回してる子、
店長のブログを読むと「相変わらずだな~」と苦笑するような記述も多い。
でも、そんなこんなもありながら、
お酒を飲んで騒いだり、後輩を可愛がったり、そして被災地支援をしたりと、
彼らは仲良く、長い青春時代を謳歌しているようだ。
(冷静に考えたら、彼らはもう36歳くらいだと思う)
 
終わり良ければ全て良し。
この次仙台に行ったら、お店の前を通ってみようかな。