まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

特殊な「オンリーワン」を求めすぎるからさ。~佐村河内氏ゴーストライター騒動に思うこと~

大騒ぎですなあ。
NHKスペシャルも見てなければ、交響曲第1番「HIROSHIMA]を聞いたこともなく、
早い話が佐村河内氏の名前さえ初めて知ったわたしでさえ、
ネットだけで事件の概要を知り得てしまいました。
 
この騒動(あえて「事件」とは呼ばない)から何人か連想した人物がいます。
 
一人目はそのある種の共通性を他の方々も数多く指摘しておられる、某女性ピアニスト。
あの方も「国籍を失い、貧しさの中で片耳の聴力を失うなど、
数多くの不幸に見舞われながらピアノを弾き続けた」
という人生の背景が先行して話題となり、大いに注目を浴び、
(多分実力以上に)現在でももてはやされている方です。
あの方が地方興行(「公演」とはあえて呼ばない)にいらした時の入場料の高さ!
オーケストラではなく、ピアニスト一人だけの演奏会の料金としては、
超一流の方と遜色ないほどの高さでした。
あの方の演奏を、人生の背景を抜きにして純粋に音楽だけで評価したなら・・・
とてもあれだけの料金を頂けるものではないと言っていいと思います。
それでもあの方の演奏に感動し、高い料金を納得して払うたくさんのファンがおられるのは、
あの方の特殊な「オンリーワン」である生い立ち、それに負けなかった強さと言った、
音楽以外の部分で心動かされた方がたくさんいらっしゃるからなのでしょう。
 
わたしが連想したもう一人は、セダ・バラです。
この女性はハリウッド映画の黎明期に「ヴァンプ女優(日本語では「毒婦」と訳されていたらしい)」
として活躍したスターでした。
この世のものとは思われないくらいの神秘性を持たせるために、
確かエジプトだかどこだかで、狼に育てられ・・・
みたいな大嘘のプロフィールを映画会社がでっち上げ、
嘘がばれないように私生活の全てを秘密にさせていた人です。
サイレント映画時代であることを差し引いても、
信じられないくらい濃いメイクに歌舞伎並のオーバーアクションで、
男どもを次々に食い物にする冷血の毒婦(!)役ばかり演じてアメリカでは人気があったようです。
この方も、セダ・バラという怪しげな名(「アラブの死」のアナグラムらしい)を与えられ、
特殊な「オンリーワン」であるかのようなでっち上げのストーリーをまとうことによって、
本来の自分のままならとても得られなかったような名声を得たのです。
 
佐村河内氏の騒動が、今言われているように
「障害のことも含めて全て嘘」だったのだとしたら、この一連の騒動とは、
佐村河内氏が本来の自分のままならとても手に入れられないような名声を得るために、
セダ・バラのケースのようなでっち上げのストーリーと、
さらに某女性ピアニストのような感動を人々に与えるためのゴーストライターに作らせた音楽と、
自らはその二つをまとってセンセーショナルに登場して分不相応の名声やお金を得た騒動、
ということになります。
それだけなら、やり方に異論はあるでしょうが、
「行き過ぎた自己プロデュース」ということで終わりかもしれません。
 
しかし、今回のことで非常に大きな問題だと思うのは、
佐村河内氏が特殊な「オンリーワン」となるべく選んだストーリーが、
被爆者であり、身体障害者であったこと、
そして、その(多分偽りの)ストーリーをまとって交流したのが、
身体障碍者の少女であり被災地の子どもたちであったことです。
それらは、心情的にも倫理的にも決して汚れた触れ方をしてはならないものばかりだった、
そのことが今回の騒動に対して人々の強い怒りを引き起こしているのだと思います。
 
一方でわたしたち大衆の中に、
常に特殊な「オンリーワン」を求める風潮が強いことも反省しなければならないと思います。
STAP細胞を発見したグループのリーダーのことも、
女性である、割烹着を着て研究している、リケジョなのにおしゃれだ、等々、
とにかく特殊な「オンリーワン」であるというストーリー性を強調する報道に、
すぐ踊らされてしまい、あの方と同じ指環やら果ては割烹着までもが売れに売れているとか。
 
はあ~。
メディアから流れて来る大量の情報を、自らのフィルターを通して精査することをせず、
よく考えもしないまま、メディアの報道に踊らされてしまっている人々が多数派を占める限り、
第二、第三の佐村河内氏が現れるのは必然でしょうね。
いやいや、今の日本に「ハーメルンの笛吹き男」が現れたなら・・・。
怖い、怖い。