まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

よその子でも声を掛けよう

わたしの直接の知り合いではないと言っても、
夫の古くからの知人のお子さんが自死したことの衝撃は大きく・・・。
この3連休も、外出時に似たような年恰好の子たちが楽しそうにしてるのを見るたび、
「一体どうすれば助けられたんだろう」と考えてばかりいた。
 
自死したお子さんは自宅以外の場所で亡くなった。
自死する少し前、ウロウロしている姿を目撃していた人がいた。
制服姿の子がウロウロしているのは不自然な場所で、不自然な時間に。
 
「・・・どうかしたの?」とひと声掛けてくれてさえいれば。
自死せずに踏みとどまったはずなのに。
 
斯く言うわたし自身、「どうかしたの?」のひと言で踏みとどまった一人だ。
学級崩壊クラスの担任をしていたとき、
後から考えれば完全にうつ状態だったわたしは、
精神的にも肉体的にも追い詰められてしまい、
校舎4階のトイレから飛び降りようと決心した。
でも、いざ飛び降りようと思ってもなかなか勇気が出ず、
窓から乗り出すようにして下を見ながらしばらく逡巡していたのだ。
その時、一体どういう偶然か、わたしがとても親切にして頂いていた用務員の女性が、
トイレに入って来た。
(職員室も用務員室も2階にあったのに、不思議なことだ)。
そして、わたしに、「あら先生、どうかしたの?何か面白いものでも見えますか?」と
声を掛けてくれたのだ。
その途端、わたしは潮が引くようにすーっと冷静になり、
急に自死するのが怖くなった。
あの時、あの用務員さんが声を掛けてくれなかったら。
多分、わたしは、今こうして呑気にブログなんか綴ったりすることも叶わなくなっていただろう。
 
自死する人は、多分ほとんど全員、この世に自分を引き留めてくれるきっかけを待っている。
ほんのちょっとしたことでいいのだ。
見知らぬ人から「どうかしたの?」と優しくひと言掛けてもらうだけで、
踏みとどまることが出来るはずなのだ。
 
だから、全然見知らぬよその子だからと知らんぷりをしないで欲しい。
「どうかしたの?」のひと言で助けられる命もあるのだから。