まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

やなせたかしさんに最敬礼!

NHKで放送されたやなせたかしさんの追悼番組を見た。
 
感動した。
そして、今までやなせさんのことを「目立ちたがりの派手なおじいさん」と
思っていた自分の無知を恥じた。
 
母親に捨てられ、可愛がっていた弟を戦で失い、戦争に駆り出されて地獄を見、
妻に先立たれ・・・。
やなせさんの心の中には、人一倍、悲しみや苦しみ、別離の辛さなどが詰まっていたのだ。
「わたしはひどい目に遭わされたんだ!」
「わたしは悲しみでいっぱいのままなんだ!」
そう言ってしまっても良かっただろう。
現にやなせさんのような境遇で、他人を恨み、運命を呪い、
それだけで人生を終わらせてしまう人は少なくない。
詩人でもあったやなせさん、そういう悲しみや苦しみをひたすら綴る道だってあったはずだ。
 
でも、やなせさんはそういう風にはうたわなかった。
やなせさんの代表曲の一つ、「てのひらを太陽に」の中にこんな歌詞がある。
  ぼくらはみんな 生きている
  生きているから 悲しいんだ
生きていることは、決して楽しいことばかりじゃない、
苦しいこと、悲しいこと、辛いことは山のようにある。
それは「生きているから」なんだよ、 と歌われている。
そして、歌はこんな風に続く。
  てのひらを太陽に 透かして見れば
  真っ赤に流れる ボクの血潮
悲しくたって、辛かったって、ほらごらん、君は現に生きているんだよ、
赤い血が身体に流れているんだよ、生命が溢れているんだよ、と歌われるのだ。  
 
番組の中では「アンパンマン」が主に取り上げられていた。
アンパンマンが、実はずーっと昔に描かれた題材だったこと。
「空腹の人に、自らを削って食べ物を与え、自分はヘロヘロになってしまうヒーロー」を、
最初に受け入れたのは幼い子どもたちだったこと。
そして、推敲を重ねた「アンパンマンマーチ」。
当初は散見されたネガティブな言葉を、
推敲によって全てポジティブな言葉に替えていたこと。
そうやって、やなせさんは、絶望の中でも希望を失くしてはいけないよ、
というメッセージをわたしたちすべてに届けようとしたのだ。
そして、その言葉が、現に、東日本大震災で被災した大人たちの心に
まっすぐ届き、人々に希望を与えることとなったのだ。
 
番組の中では、ちばてつやさん、西原理恵子さん、吉田戦車さん、里中真智子さんが、
それぞれの「やなせさんへの思い」を作品にしていた。
その中で、わたしは里中真智子さんの作品にハッとさせられた。
それは、アンパンマンの衣装に身を包んだやなせさんの絵だった。
おなじみの、歌ったり踊ったりする派手で目立ちたがり屋みたいなやなせさん。
しかし、その足元から伸びる黒い影は、
傷んだハートを抱えて涙を流していた。
そして、そこに付けられたキャプション。
「やなせさんこそアンパンマンでした」(←うろ覚えです、ごめんなさい)。
歌ったり踊ったりしていたのは、人々を少しでも楽しくさせたい、
楽しい気持ちになって、少しでも幸せになってもらいたい、という気持ちからだったのだ。
やなせさん自身はあんなにも悲しい思いを沢山していたのに・・・。
 
悲しみや痛みを昇華させて、人々を勇気づける作品を作り続けたやなせさん。
心から、最敬礼をおくりたい。