まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

宅配便屋さんに感謝、感謝。

このところ、毎日のように宅配便屋さんが来る。
夫の実家のつてで送っている果物のお歳暮へのお返しが、
いろいろなところから届く。
和歌山からすごく美味しいみかん。
愛媛から「紅まどんな」という、珍しい柑橘類。
雑誌でしか見たことがなかった、有名なショコラティエが作ったショコラ。
島根の特産品だという、活赤貝。
岩手の無添加ソーセージ。
その他に、わたしが家族へのクリスマスプレゼント用に頼んでおいた、
Tシャツやら、古本やら、日本酒やらが、
壊れることもなく、傷むこともなく、ちゃんと届けられる。
配達日や配達時間が指定されているものは、ちゃんとその通りに。
 
「すごいなあ」と思う。
 
師走のこんな忙しい時期にも、ちゃんと頼んだ通りに荷物が届く。
当たり前だと思ってしまっているけれど、実はすごいことだよなあ、と改めて思う。
 
ちょっと前に、クール宅急便が実はクールじゃなかった、と大騒ぎになった。
一瞬、「えーっ?!」と思ったけれど、すぐに「仕方がないなあ」と感じた。
手ごろな料金で送れるし、近ごろでは○mazonみたいに価格に関係なく送料無料、
なんて無謀なことをやってる通販サイトも出て来たしで、
宅配便を利用しての物流量は激増してるはずだと思う。
しかも、配達日指定、配達時間指定のサービスもある。
限られた人員と限られた車両などで、どうやってそれをこなし続けることが出来るのか。
おのずと限界というものがあるだろう。
結構気軽に○mazonを利用してしまっていたわたしは、少し反省したのだった。
 
クロネコヤ○トに裏切られた。がっかりだ」みたいな投稿が新聞に載っていた。
よく読むと、その人はおこわで作ったおにぎりや煮物の果てまで、
宅配便で遠く離れた家族に送っていたらしい。
それは、いくらなんでもやり過ぎというものではないか。
滅多に帰省することがない家族だとしても、
そういう「家庭の味」は、顔を見ながら、話をしながら、一緒に味わってこそのもので、
クール宅急便を使ってまで送るべきものだろうか?
そういう使い方をする人まで現れたことにより、処理が追いつかないほどの
物流量になってしまった末の出来事ではなかったかと思った。
 
・・・などと言いながら、東京で一人暮らししている息子に、
クリスマス用の小さな箱を送ってしまったのだが。
ディチェコのパスタを3袋、ホールトマト缶を2袋、ひよこ豆の水煮缶1缶に、
丸鶏ガラスープ1袋、雑貨屋さんで買ったクリスマスブーツのチョコレート、
そしてスイッチを入れるとLEDが5色に変わりながら光る、ラメ入りの雪だるまの飾り物。
「仕送りしてもらってるんだから、無駄遣いしてはいけない」と、
ずーっと切り詰めた生活をしている息子に、ちょっとだけ贅沢を。
 
届いた箱を開けて、「わあーっ。」と喜ぶ顔が目に浮かぶ。
可愛いものに目がない息子は、すぐに雪だるまのスイッチを入れてみることだろう。
 
宅配便屋さんは、そんな幸せを1個1個届けてくれる人たちだと思う。
感謝、感謝である。