まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

遊ぶための足

子育てが大変だった時のことを考えていたら、
思い出したことがある。
何年経っても笑える話で、今でもこの話をしては家中で大笑いしてる話だ。
 
息子が2歳から4歳だった頃、東京の中野区に住んでいた。
夫は仕事で忙しかったから、わたしは息子とときどき電車でお出かけしていた。
行先は「こどもの城」とか、「東京都児童会館」とか、「フジタヴァンテ」(←懐かしい!無くなっちゃったけど)とか、
井の頭公園」とか、「昭和記念公園」とか、いろいろ。
わたし自身初めての東京暮らしだったので、特に電車の乗り換えに苦労した。
営団地下鉄(←懐かしい名前ですね!)と都営地下鉄との違いが分からず、
せっかく目的地まで買った切符を改札で取られちゃったりとか、
あとから考えると「もっと簡単に行ける方法があったのに!」という乗り換えをしちゃってたりとか。
そういう時に、いつも一緒に犠牲になってたのは息子だった。
 
その日も、確か東京駅までJRで行って、地下鉄の大手町駅まで乗り換えのために歩いてたんだと思う。
(手帳の路線図で見たらすぐくっついてるように見える二つの駅、
実は地下道を頑張って歩いても、大人の足で15分近くかかることを知らなかったのだ。)
「楽しいとこへ行くよ」と言われてホクホクしてた息子だったが、
大手町駅へ向かう通路の階段の途中でピタッと止まって歩かなくなってしまった。
「ねえ、歩かないと楽しいとこへ着かないよ。頑張って歩こう。」と声を掛けたわたしに、
当時3歳だった息子は、かの名言を吐いたのだ。
「ボクのあんよはね、遊ぶために付いてるの。
歩くために付いてるんじゃないんだよ。」
虚を突かれたわたしが、口をあんぐりと開けて返す言葉を探してると、
階段の端っこを手すりにつかまりながらそろそろと歩いてたおばあさんが、
「そうだよねえ、僕のあんよは遊ぶために付いてるんだよねえ。
歩くために使ったら疲れちゃうよねえ。分かった、ママ?」と言っておかしそうに笑った。
そのやりとりに、近くを歩いてた人たちがみんな笑顔になった。
「ボク、頑張って歩けよ。ママが困っちゃってるだろ。」と、笑いながら声を掛けてくれるビジネスマンもいた。
おかげで、わたしは「追い詰められたお母さんモード」にならずに済み、
「そうかあ、疲れちゃったかあ。でも、もう少しだけ歩いてくれると、お母さん助かるんだけどな」
と呑気そうに言うことが出来た。
すると、息子はあっさりと「分かった。ボク、がんばるね」と自分から言ったのだ!
おばあさんのナイスアシストに「ありがとうございました」とお礼を言って、
わたしと息子とは手をつないでまた歩き出すことが出来たのだった。
 
それにしても、「遊ぶために付いてる足」って!!!
子どもって、つくづくものすごく面白い生き物だと思う。
そういう柔らかい感性に毎日触れられた頃のことを、子どもたちも結構大きくなった今振り返ると、
とても贅沢でもったいない時間だったんだなあとしみじみしてしまうのであった。