まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

だまされることは悪~毎日小学生新聞掲載「とっちゃまんのスーパー読解特講」~

火曜日の毎小(毎日小学生新聞)が楽しみである。
以前記事にした朝倉世界一さんの漫画が付いてる「マイルール」もだけど、(以前の記事はhttp://blogs.yahoo.co.jp/joy_spring2010/10416250.html
もう一つ、ものすごく刺激的な内容の連載があるからだ。
それが「とっちゃまんのスーパー読解特講」である。
これは、昔話や偉人の言葉などに題材を取り、
それを「とっちゃまん(=国語作文教育研究所所長 宮川俊彦さん)」がどう読み解くかについて、
斬新な観点から示唆していくというもの。
正直言って、とても並の小学生では付いて行けない、というか、
高校生から大人向けと言っていいような刺激的(過ぎる?)内容のコーナーである。
 
今日のテーマは「だまされることは悪」。
題材となっているのは、伊丹万作監督の文章である。
以下に引いてみる。
 
>だまされたということは、不正者による被害を意味するが、
>しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはいないのである。
>だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、
>無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、
>もう一度よく顔を洗い直さねばならぬ。
>しかも、だまされたもの*必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、
>私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
               (伊丹万作「戦争責任の問題、『映画春秋』」所収)
      *一字分抜けがあるのは原文ママ
 
これをとっちゃまんがどう読み解いているか。
若干長くなるが、以下に転載する。
 
>(この文は)太平洋戦争の後に「戦争の責任」を巡って諸説が出る中で語られたものだ。
>教育のせいだとか、軍部がいけないとか、誰かに責任を取らせて、
>自分たちは被害者なのだと責任を回避する論調が多かった。
>自分が何をしてきたかということは棚上げして、自分は悪くないと思い込んで
>戦後を生きて来た人たちは少なくない。
>これはそういう国民のいい加減さや狡さに対しての痛烈な一撃になる。
>この論法は今日でも通じる。例えば「オレオレ詐欺」でだますのは無論犯罪だ。
>しかし確かめもせずに振り込む側もそれは「罪」なのだ。
>被害者面して、卑屈で無知をいいことに弱者である自己を強調する、
>社会人としての責任を微塵も感じない姿勢だと断じる。
>耳に痛いが、現代の多くの「被害者」には踏まえて貰わないといけない。
>無知、不明はやはり罪なのだ。
>「知りませんでした」は社会人として通用しない。
>知ること、自己を防衛することに真剣でないのは、欠格なのだ。
>学ぶべきだし、常に問い続け思索すべきだ。
>裁判などで加害者、被害者は明確にされる。
>事実も明らかにされる。
>しかしだ。それは法廷上の認定であって、それが全てではあり得ない。
>一度だまされたら二度あってはならないと万作氏はこの後述べている。
>戦争を経験した氏がそれを語るのは、ただ平和到来と喜ぶ国民に
>根底的な自覚を促す必要を感じたからだと思う。
>現代で詐欺に遭う側の罪、無知を堂々と語れるだろうか。
>そんな雰囲気ではなくなってきている。
>同情を先行させて本質は口ごもるような空気になっている。
>戦後言論はなかなか活発だった。
     (とっちゃまんのスーパー読解特講第288回 毎日小学生新聞 H25年11月26日掲載) 
 
うーん、実に鋭い、そして、耳がものすごーく痛い。
「だまされるヤツが悪いのさ」とだました側は言い、
「だますヤツが悪いんだ」とだまされた側は言う。
裁判ではだました側の罪のみを問い、刑法に従って処罰する。
大抵刑罰の軽重をめぐって訴えた側、訴えられた側双方が控訴したり上告したりすったもんだして、
刑が確定したら、それで「めでたし、めでたし」だとだまされた側は思っている。
そして、まただまされる。
それでいいのかい、無知だからだまされたんだよ、
だまされるような無知な自分をそのまま放置した君自身にも罪はあるんだよ、
とまあ、そうとっちゃまんは言っているわけだ。
 
学校で「市民社会」と「大衆社会」との違いについて学んだように思う。
「市民」であるためには、常に自己研さんが必要なのだ。
自己研さんを怠り、学び続けることによって無知を克服しようとする努力を怠れば、
それは「大衆」または「衆愚」へと堕することになる。
その罪を問う法律はないが、その罪こそが、
実は社会全体を誤った道へと導くことになりかねないほどの、
大罪であることをわたしたちは忘れていやしないだろうかという、
とっちゃまんの怒りの声が聞こえる気がする。
 
オレオレ詐欺」だけではない。
あらゆる問題について、わたしたちは正しく「市民」として考察し、
自分たちの国の進む道を選択しているといえるだろうか。
 
わたしは、わたしの無知を恥じよう。
 
 
 
 
*「オレオレ詐欺」について
ここで、「オレオレ詐欺」を題材にしたのは、失敗ではないかい、とっちゃまん?とわたしは思います。
オレオレ詐欺」の被害者は大抵高齢者であり、中には認知機能が低下している方も少なくありません。
そういう方たちにも、永続的な学習による自己防衛を求めるのは酷ではないかと・・・。
まあ、そこに焦点を当ててしまうと、現代の家族問題などに踏み込まざるを得なくなってしまい、
今回のテーマからは逸脱してしまう訳ですから、致し方なかったのでしょうか。
または、本当は他の問題を題材にしたかったのかもしれませんが、
それを取り上げてしまうと大変な事態になるので、
当たり障りのない「オレオレ詐欺」を取り上げたのでは・・・などと下衆の勘繰りをしてしまうわたしなのでした。