まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

どんぐり

昔、子どもが書いたというどんぐりの詩を読んだことがある。
残念ながらほとんど覚えていないんだけど、
「ぼうしをなくしちゃった子もいました」
という一節だけが強烈に心に残っている。
 
子どもたちがまだ幼かったころ、
秋になると必ずどんぐり拾いに行ったものだった。
転勤先で秋になるまでには「どんぐりスポット」を見つけておく。
こはちょっと遠くの神社だったり、
県営の運動公園の中だったり、
資料館の駐車場だったりいろいろだったし、
拾えるどんぐりもクヌギだったり、カシだったり、シイだったり。
「穴が開いてたり割れてたりするのは拾わないでね」
あとは3人それぞれビニール袋を手にどんぐりをひたすら拾った。
家に帰ったらさらに穴開きや割れのあるものを捨て、
残りを大きな鍋でぐつぐつ煮る。
その後ザルに重ならないよう広げて、陰干しする。
煮たり干したりしている間に割れてしまったものをさらに捨てて出来上がり。
そうやって下準備したどんぐりは、
楊枝を刺してコマにしたり、マジックで顔を描いたり、
カレンダーの裏に描いたすごろくの駒にしたり。
そうそう、何度か表札を作ったこともあったっけ。
100円ショップで買ってきた木の板に苗字の形にどんぐりを貼り付け、
これまた100円ショップで買ってきた透明ラッカーで仕上げると、
可愛くてどこにも売っていないどんぐりの表札が出来上がるのだ。
子どもたちが小さかったころの秋は、
子犬のように走り回る子どもたちの笑い声と、どんぐりと、青い空とセットになって、
わたしの脳裏に焼き付いている。
 
子どもたちもすっかり大きくなって、
もう何年もどんぐり拾いとは無縁の生活になった。
でも、秋になって落ちているどんぐりを目にすると、
「ぼうしをなくしちゃった子もいました」
というあの詩の一節と、子どもたちとどんぐりを拾った遠い秋の日の思い出が一緒になって、
「早く拾ってあげなくちゃ」という気持ちになってしまうわたしなのだ。
今年は、一人で拾いに行こうかな。