まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

美人じゃなくて良かった・・・負け惜しみじゃなくて。

マリリン・モンローがあごの整形手術を受けていた証拠のカルテが、
競売にかけられることになったそうで。
1950年ごろ受けたそうだから、マリリンが24歳くらいだったときらしく。
その後整形した部分が少し崩れて来ている、という外科医の記述もあるそうです。
そう言えば、マリリンは晩年(と言っても36で亡くなったんだから若かったのだが)
人前では必ず白い手袋をはめてたらしいです。
手の甲にシミが出来てしまったのを見られないようにするために。
 
美人も大変・・・って言うよりは、美人って大変なんだなあ。
どんなに美しい人だって、年を取っていくわけですから。
自分の美が失われていくのを見るのはどんなにか辛いことでしょうね。
 
その点、美人じゃないと気楽ですね、失うものが初めからないんですから。
白髪になるのも、シミが出来るのも、しわになるのも、想定内。
考えてみれば、ルイ・ヴィトンのバッグだって、
どんなに大切に使ったって50年も使えばヘタって来るでしょうよ、
ましてや初めから綺麗じゃないわたしなんか、経年劣化したんだかどうかも分からない(笑)
 
冗談(いや、結構マジメだ)はさておき。
映画「チャンス」の主人公は人間の世界を植物に例えて話してましたけどね。
わたしも、女性って、一輪の花みたいなものだと思うんです。
どんな色の花が咲くのか分からないつぼみの時代、
色づきほころびかけた頃、
そして美しく花開く時期を経て、徐々に色褪せ、花びらにしわが寄り、
やがて花びらが一枚一枚散り始め、そしてとうとうすべてが地に還る・・・。
でも、それと引き換えに実がなる訳ですからね。
美しさだけが花の価値を決めるわけではないでしょう。
 
・・・とまあ、生まれてこの方、美人と言われたためしがないわたしは、
そんな風に考えているんです。
美人じゃなくって良かった。
安心して経年劣化を楽しもう!
そういう目で見れば、しわの一つひとつにも、わたし個人の歴史が感じられるような気が・・・
しないか。
しわはしわ、ですもんね(笑)