まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「ムリ!」って言うな。

娘が学校便りを持ってきた。
毎回教科担当の先生方が交代でエッセイを寄せてくださるのだが、
今回は英語のALTの先生だった。
それが、日本語で書いてあるではないか!
これまでは英語で書かれていたのに!
一読してその理由が分かった。
先生は、今回のエッセイを生徒たちに是非読んでもらいたかったのだ。
その内容は、と言うと・・・。
 
 
言葉と現実とは不可分のものである。
現に様々な文化において、
重要なものとされているものには沢山の表現がある。
イヌイットにおける「雪」やアイルランドにおける「家族」など)。
 
翻って君たち中学生。
一体今日一日に何回「ムリ!」と言っただろうか。
「ムリ!」と言ってしまうのは、最初からギブアップしてしまうことであり、
臆病者の取る道である。
実は、物事を可能にするかどうかは、
君たちの意志次第なのだ。
出来ると思えば出来るし、反対に出来ないと思えば出来なくなってしまう。
もちろん、物事には簡単に出来ることと困難なこととがある。
しかし、この現代社会実に様々な方法があり、
意志さえあればどんなに困難なことにも実現への道はある。
若く可能性に満ちた君たちの明日を、
「ムリ」という言葉でつぶしてもらいたくない。
 
たった一つ必要なことは強く望むことと信じること。
それが不信感を超えた時、何でも達成出来るようになる。
君たちの辞書から「ムリ!」という言葉を消し去って、
可能性を信じて進んで行って欲しい・・・
 
アイルランド人の先生が書いた日本語だから一部分かりにくいところもあり、、
表現は一部変えて要約したけれど、こんな内容のエッセイだった。
 
本当だなあ、と思う。
わたしたちは「バブル世代」(半沢直樹か?!)だから、
若い頃無邪気に日本の将来を楽観視してたし、可能性を信じていられた。
でも、うちの子供たちもそうだけど、平成生まれの人たちは
生まれてからずーっと日本が凋落の一途をたどるところしか見ていないのだ。
だからなのか、何でも冷めた目で見て値踏みし、
「ムリ」「あり得ない」と決めてかかって最初から動こうともしないところがある。
若者なのに低体温で低血糖で低血圧で「かったるい」人々なのである。
娘が通う中学校は、ちょっと変わった子たちの寄せ集めではあるけれど、
そこでも日々「ムリ!」が飛び交っている現実に、
アイルランド生まれの熱い性格の先生は歯がゆい思いをしていたのだろう。
 
他の記事にも書いたけれど脳は「だまされやすいもの」なんだって。
「出来るよ!頑張ろう!」と声に出して言うと、
「そうか、頑張れば出来るのか!じゃあ、頑張ろう」と脳がだまされてしまい、
リミッターが外れてその人の潜在能力を出し切れるように働くものなんだって。
その時に必要なのは、先生も書いてるように「強く信じ続けること」。
「どうせムリ」と思いながら「出来るよ!」と言ってみても、
上手く脳がだまされてくれないらしい。
まさしく、「信じる者は救われる」。
そして、「天は自ら助くるものを助く」なのである。
 
それを踏まえた上で前の記事の「ポエム化」について考えてみると・・・。
一層怖さが増してしまった!
努力もトライも工夫もせずにカッコ良い言葉でうわべだけを飾った社会、
そんなものに明日はなさそうだなあ。