まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

今どきの中学女子を理解するために~重松清「きみの友だち」と娘~

中学2年の娘と話していたら、娘が
「学校でのあたしって、いつも無理して笑ってる。
特にYさんとAさんに睨まれたらおしまいだから、
自虐ネタとか言って必死で笑いを取ってる。
・・・まるで『堀田ちゃん』みたいに」と言った。
「堀田ちゃんって、だあれ?」と尋ねたわたしに娘は1冊の本を貸してくれた。
重松清著「きみの友だち」(新潮文庫)。
以前、学校の課題の読書感想文用にと娘に買ってやったものの、
娘が「生々し過ぎてとても感想文なんか書けない。
この本、怖すぎ。」と言っていた本だ。
読んだのか、読まなかったのか、それすら分からないくらい、
即行で娘の本棚の奥深くにしまい込まれていた本。
 
読んでみた。
なんともいいようのない気持ちに、胸が詰まりそうになった。
「友だち」という、なんとも頼りない、きまぐれな細い糸が切れないように、
子供たちはこんな薄氷を踏むような思いをしながら日々学校で生きているのかと。
嫌われないように、目立たないように、(娘のクラスのYさんやAさんみたいな)
ボスの機嫌を損ねないように、キョロキョロしながら、
みんなと自分の立ち位置を常に計算しつつも、
でもそんな計算がバレないように笑顔の仮面をかぶって。
特に娘が「自分と似てる」と言っていた堀田ちゃん。
みんなが平和に暮らせればいい、はじいたり、はじかれたりする人がなくなれば、
そういう気持ちで道化を演じている子。
悪夢にうなされ、心の中でエールを送って自分を必死で鼓舞しながら、
それでものん気を装って道化を演じ続ける。
それが堀田ちゃんの「キャラ」だから。
みんなを平和にくっつける糊みたいな役目を自分に課して。
でも、そんな堀田ちゃんも自分の保身のために、
二人の子のことを犠牲にしてしまったことがあった。
そして、そうやって犠牲を生んでまで守った友達関係も、
ほんのちょっとしたことでバランスが崩れてしまい、
堀田ちゃんはまたはじかれて孤独を味わうことになってしまう・・・。
はじいたり、はじかれたり。
(「はじく」と言うのは、昔の「村八分」みたいなものらしい。
またはわたしが中学生だった頃のシカトみたいなものか。
娘曰く、シカトよりもっと陰湿なのが「はじく」だそうだけど。)
はじかれた子はもちろんのこと、
はじいた側の子も傷付いてしまうというのに、どうしてもやめられない。
なぜなら独りぼっちになるのが何より怖いから。
だから堀田ちゃんは、またグループに入れてもらったら、
自分を心の中で必死で鼓舞し続けながら道化を演じ続けるのだ。
「・・・堀田ちゃん、ファイト、堀田ちゃん、ファイト、ファイト、おーっ・・・」って。
 
・・・うちの娘が。
無愛想で、ぶっきらぼうで、歯に衣着せぬ物言いをするうちの娘が、
学校では必死で道化を演じているなんて。
成績がいいのも、絵が凄く上手で全国紙でイラストを掲載されたことがあるのも、
全部YさんやAさんに悟られないように頑張ってるのは知ってたけど、
おべんちゃら使って、自虐ネタをやって笑いを取って、
「卑屈」とも取れるような「キャラ」を演じていたなんて。
 
4年前、ここに引っ越してきたことは、
そんなにも大きな代償を娘に強いることだったのか。
「東京から来たと思っていい気になってる」
そんな風に女子からも男子からも言われ、
一挙手一投足にケチを付けられ、悪口を言われ、
この本の中の「恵美ちゃん」みたいに周りからはじかれていた、
Sちゃんしか娘と仲良ししてくれる子がいなかった小学校最後の2年間。
Sちゃんと仲良くすることで、この本の中の「恵美ちゃん」と「由香ちゃん」みたいに、
周囲から浮いてしまい、二人ぼっちにさせられ、差別されていた娘。
(しかもSちゃんは、「恵美ちゃん」みたいに本当は優しい子、という訳でもなかった。)
自分をはじいた子たちと一緒の学校に行きたくないと、
他の中学校へ進学したものの、そこにもYさんやAさんという、
女子のボスが厳然と存在していた。
娘は小学校での失敗を生かして、ボスに媚びへつらってでも、はじかれない道を選んだのだろう。
それが娘が得た「ここで生きていくための知恵」なのだとしても・・・。
そしてそれが仕方ないことなのだと頭で理解することは出来ても・・・。
やっぱり母親としては、胸が詰まる思いを止められないのだ。
 
無愛想で、ぶっきらぼうで、歯に衣着せぬ物言いの娘を、
せめて家庭の中でだけでも、そのままでいさせてやろうと思った。
たとえそれすらも、家庭の中で娘が演じている「キャラ」なのだとしても。
自由できままそうに見える「キャラ」を演じているだけなのだとしても。