まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

20年後の日本を見届けてください

夫とは政治の話を時々していても、
ブログではあまり触れないようにしてきたのですが。
どうしても言いたいことがあります。

日本のかじ取りは、20年後も生きていられる人たちに
お願いしたいのです。
一時しのぎ、大票田(=高齢者)の人気取り、
場当たり的な政策で20年後、30年後の日本を
めちゃくちゃにすることが目に見えていても、
自分たちの地位や既得権益と日本の未来とを天秤にかけて
自分たちを取るような人たち、
愚かしい政策により未来の日本がめちゃくちゃになっても
その結末を見ることなく死んでしまえる人たちに、
子供たちや孫たちが生きる未来の日本をどうこうして欲しくないのです。

政治家も65歳定年制にして欲しい。
「65なんて政治家としてはまだまだひよっこ
根回しや暗黙の了解、政治業界のお約束について
理解して策略を巡らせるには修行が足りていない、
そんな若輩者たちに政治なんて出来やしない」
と言われるのは目に見えているけれど、そういうものが必要になるのって、
国内の政治屋内輪のパワーゲームの話でしょう?

誰もが皆年を取り、老いて、いずれは死んでいく。
程度の差、個人差こそあれ、経年劣化は避けられないのです。
それなのに、政治家だけは加齢によるデメリットが一切無いかの如く、
「長老」として君臨し続けられるなんて。
それは、人々が「経験」だけを頼りとして生きていた時代と同じ形です。
または「風の谷のナウシカ」のように文明が滅びかけてしまった世界か。
(でも、「風の谷のナウシカ」でも、
古き者たちに世界を蘇らせる力はなかった訳ですが)

定年制が無理だと言うのなら、せめて20年後、30年後の
日本を良くすることに照準を定めて政治を行って欲しい。
そのためには、目まぐるしく変化し、
予想外の動きを続ける世界(人間の世界だけではなく、
異常気象なども含む広義の世界)に対応したり、
集められるだけの材料を集め未来を先読みし、
常に戦略を調整し続けるだけの力が求められますが。
(そういうものって、老人が最も苦手とするところではないでしょうか?
だからこそ、カリスマと呼ばれるような経営者たちでさえ、
ある程度の年齢になれば後進に道を譲るのではないでしょうか?)

睨むものは常に「次の選挙」「次の選挙」「次の選挙」、
そういう近視眼的な展望しか持たないまま、
場当たり的と言うか、くちゃくちゃとした継ぎはぎ政治と言うかで、
日本を迷走させるのは今すぐ止めろ!と声を大にして言いたいのです。
「打ち出の小槌」でも持っているかのように国の借金を重ね、
今生きている世代への大盤振る舞いを続けたりするのは
今すぐ止めろ!と喉から血が出るまで叫びたいのです。

「異常気象の常態化」などと言う恐ろしい言葉を聞くようになり、
日本中が被災地と化す光景がもはや日常となりつつある中、
呑気な顔をしながら相も変らぬパワーゲームに興じている人たち。
あなたたちが今決めている政策が将来の日本をどんな風にするか、
20年後もきちんと生きてその目で見、実感し、責任を取ってください。
日本がどんな恐ろしいことになろうとも、国外逃亡したりすることなく、
結末を見届け、責任を取ってください。

わたしたち一人ひとりも、
「とりあえず近々の経済さえ良ければどうでもいい、あとはお好きに」
という考えは今すぐ捨てて、「大衆」ではなく「市民」にならなければならない、
そのために自ら勉強したり考えたりする努力を怠ってはいなかっただろうか、
そういう自戒の念も込めつつ、記事を作成しました。